Diary 2009. 7
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7月29日 (水)   暖かい しあわせ

 夏剪定を昨日まで頑張ったのですが、今日は私がすっかり疲れ果て、予定を変更して事務所に座りました。 いつもの習慣でメール開いたところ、
『たった今、梅干しが届きました。 滋味あふれる梅、この夏の暑さを吹き飛ばすような美味しい梅でした。 実は息子のお食い初めに使うように考えています。 命の大切さ・・・ぴったりな感じで楽しくなってしまいました。』 ネットでご注文下さった、梅村様からのメールでした。 私にとって何と有難い嬉しい 何よりの贈り物です。疲れ果てていた心にフーッと暖かい、やわらかい何かが満ち満ちてきました。 

 ”因果倶時(釈迦の言葉)” 『現在の果を知らんと欲すれば過去の因を見よ  未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ  生空 書』
私の部屋に掲げてある色紙で、意気投合した 樺r田紙器工業の社長様に頂いたものですが、この色紙の文字をしみじみと読み返しながら、幸せと有難さをかみしめているうちに、 『体力を作ろう! 足腰を鍛えよう! まだ八十歳! 百二十歳までは程遠い。 一度きりの人生、こんな嬉しい 「命の大切さ・・ぴったりな感じて楽しくなってしまいました。 息子のお食い初めに・・」 こんな嬉しいお便りが頂けるのだったら長生きしたい!』 と、早速インターネットで、 ”プログラムバイク” を注文しました。 叉、明日から頑張ります。 生き甲斐を有り難うございます。


7月27日 (月)   気は若くても 身は八十歳

 梅の収穫が終って一ヶ月余り。 梅の樹は、もう来年に向けて栄養の蓄積を始めました。 
太陽の光を求めて、上に上にと伸び始め、梅園は鬱蒼となったところもあります。 来年も良い梅の実を収穫するために、枝葉の重なったところを、風通しが良く、陽光が満遍なく当たるように、今、大まかな剪定をするのです。
経験の浅い後継者達に、長い指揮棒を持って指導しながら剪定していくのですが、樹が大きくて高いものですから、首や背中が痛くなり大変です。
午前中は夢中になり、 『何故この枝を切り落とすのか』、その理由を説明しながら作業を進めていくのですが、午後になると、すっかり疲れ果て、水を飲み飲み、溜息をつきながら、我知らず腰を下ろす場所を探しているのです。 広い梅園の中に腰など下ろす場所もなく、そんな事もしておれないのに、、。 叉、携帯電話で時間をチラチラ見ているのです。 何故か我とわが身が可愛想になったり、滑稽に思えたり、、。
孫の後継者が、枝を切り落としながら見ていたのか、 『社長 後は叉明日にして、社長は一足先に帰って居て下さい』 というので、『そうね、、』 と帰りました。 
左は 鬱蒼とした梅園。 真ん中は、 重なりを慎重に切り落とした後の同じ場所。 右は、裂けて朽ち残った ”ホダギ” から徒長枝が伸び、叉 生命の再生を始めた梅。 

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7月24日 (金)   急変していく 自然環境

 ピカピカ! ターン! タ、ターーン!! と頭に落ちたような雷と一緒に集中豪雨。 シソ摘みを中止して、雨の止み間に畑を回ってきました。
蜜蜂が少なくなったといいますが、無農薬の梅園でも三・四年前に ”今年は蜜蜂の羽音が寂しい” と気づきました。しかし、西洋蜜蜂がこんな早くいなくなるとは思いませんでした。 原因のひとつに、価格が輸入物に押され、養蜂家の後継者がいなくなった事もあると思います。 梅園の受粉は殆ど関係ありませんが、日本蜜蜂が来てくれます。 周辺の雑木林が消え、日本蜜蜂の棲み家がなくなるのを心配して、今年の正月 孫を東北の藤原養蜂まで勉強にやり、梅園には巣箱が四個置いてあります。 昼間巣の中が暑いのか、びっしりと箱の外に出ています。 中の巣を外して ”蜜” を絞るように言われますが、自然にまかせておき、又、春に分蜂して増える事を願っています。
梅園は 草刈が終わって涼しい木陰が続いていますが、鈴虫の棲み家の ”萱の藪” が消えていました。 原因は、土壌が有機の腐葉土質に変わると、その土質に落ち着く植物も育つ種類が変わってきます。 鈴虫が絶滅しないうちに、どこかに、萱藪を作ろうと思っています。
左は 昼間の日本蜜蜂、涼しいはずの梅園の中なのに、外に 避暑 にでています。 真ん中は、いつの間にか消えた 鈴虫の棲み家だった萱藪の後。 右は 何処までも見通せる涼しい 草刈跡の梅園ですが、もうすぐ、又草薮になります。 

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7月20日 (月)   里芋畑の 地力

雨で、除草作業を休止したところ 工場内の整理整頓や清掃、シソ摘みにシソ漬けと作業が続き、一週間余り過ぎて里芋の除草作業に行ったところ、里芋畑は草のほうが元気で、大変な有様でした。 通りすがりの人々が、『毎年里芋もりっぱな出来だけど、その草を見ると畑が ”肥えていますなー”』 と、足を止められました。
後、三人だったら一日ですむと思っていた里芋の草取りは、その後三日かかりました。
左の写真は、十二日に撮影した同じ場所、草取りを再開したのは二十日、八日間の間に真ん中の写真のように大変な伸びでした。 右は 草取り終了の日の里芋畑、りっぱな里芋畑になりました。 里芋の品種は 『赤芽大吉』、昔は 一番美味しい品種ということで、『なんきん』 という品種と共にどの農家でも作付けしていましたが、収穫量が少ないため、殆ど生産されなくなったようです。
お客様の『里芋は美味しいですね』 とのお電話に励まされ、毎年草と格闘しながら作付けしています。

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7月15日 (水)   霧島東神社の 原生林を少し、、

 真夏でも、本当に暑さも息苦しさも感じさせない原生林です。 左の写真は、ずっとずっと昔の大木の切り株の中に、新しく生命の芽を出した樹が、まるで噴火口から噴出したように、天に向かって伸びています。 真ん中の写真は、昼なお暗い大木。 右は、暗い原生林の中に、ポッカリと少しだけ太陽の光が届いている所に、朽ちて朽ちて、朽ち果てた昔々の倒木。

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7月14日 (火)   高齢を吹っ飛ばす リフレッシュ

 『おいしいラッキョ漬けができました。 徳重さんのお顔を思いうかべながら、ひとつひとつ丁寧に扱いました。 今から来年を楽しみにしています。 嬉しくてご報告を、、ご自愛下さい』 大阪の尾崎さまから、嬉しいきれいな絵ハガキが届きました。
初めてのラッキョ出荷に、心配が心の ”シコリ” になっていたので、本当に嬉しいでした。
 ”年など言ってはおれない” と、日曜日は原生林の霧島東神社に参拝、昨夜は、仕事を終えて午後六時半出発、南郷町榎原のお寺で、八時から一時間半正座して、般若信教と念仏の修行と供養。 お寺を十時出発十一時過ぎ帰宅。 往復百三十四キロ走っていました。
日曜日、霧島東神社の原生林の中で先ず身体をリフレッシュ。 十三日の夜は、お寺まで片道一時間二十分、般若心教を唱えっ放しで走り、着くなりそのまま正座して両手を合わせ、一時間半の修行と供養。 お茶をご馳走になりながら、ご一緒の皆様と少しだけ雑談しました。 
十時前 『くれぐれも気をつけてね』 の言葉に送られ、高齢者マークの車で、来た道を走りましたが、心がスカッ!としたのか、窓からはいる風も潮の香も本当に心地よく、全く疲れを感じませんでした。 来年を待っていて下さるお客様に、もっと美味しいラッキョを作りたいのです。
左の写真は霧島東神社の社務所、 前に御池を見晴るかし(真ん中の写真)、後の原生林に本殿があります。

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7月11日 (土)   今年一回目の 田の草取り

 田も無農薬のため、三回の草取りをしますが、社員は一回目の田の草取りです。 天気予報の 「曇り」 というのを当てにして、通常の勤務時間帯で草取りをはじめました。 ところが、午前のお茶の頃からカンカン照り。 
毎年田の草取りは、朝六時から九時まで作業して帰宅、午後四時出勤して夕方七時で終了帰宅。 昼間のカンカン日照りの時間は自宅で休息して、六時間の勤務時間にしています。
とにかく大変な暑さなので、冷たい水を届けたり、カキ氷を買って走ったり大変でした。
左の写真、 農薬の空中散布を避けるため、人家の近くに求めた田で、後ろから見ていると、二人してタイミング良く交互に、腰を伸ばし伸ばし草取りです。 真ん中と右は、毎年渡って来る鳩くらいの鳥で、私一人の事務所周辺を、我が物顔に降りてみたり、電線に並んでみたり、少ししか植えていない貴重なトマトをつついたり、 ”チチ チチ” と啼きながらやりたい放題です。

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7月10日 (金)   畑は 草の山

 梅園の草刈を済ませ、シソの手入れに続き、今年一回目のシソ摘みとシソ漬けなどしているうちに、サツマイモや里芋の畑は、草の天下になっていました。
ついこの前、サツマイモの草を取り、里芋も中耕を済ませたばかりで、一ヶ月も経っていません。 村の人に応援をもらって早速草取りでした。 取り合えずサツマイモは蔓の這っている所だけ取って、面積の広い里芋の草取りに移りました。
無農薬のため、シソ摘みの季節と草取りが重なるので、サツマイモは止めようと思ったのですが、お客様に、サツマイモの大好きな方がいらっしゃるので植えました。 里芋も、面積を少しにしようと思ったのですが、旬になるとたくさん植えて置いて良かったと思うのです。
左は草びっしりの里芋の畑。 真ん中は 応援に来てもらった二人の村の友人、とても早くてきれいな仕事です。 右はサツマイモ畑で、取り合えず芋蔓の這っている所だけ先に取りました。

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7月5日 (日)   梅園の主 家渡りの大蛇

 今日の午後、 ”梅園の主” と親しんで、、とゆうよりも崇めている大蛇に会いました。 三年か四年ぶりです。 自宅に通じる梅園の中の小道で、三メートル近い体を半分くらいにクネクネとして、待っててくれたようです。 『ちょっと待っててね!』と、カメラを取りに事務所まで、心はそぞろ走りたいのに歩きましたが、走れなかったのです。
場所に帰って来た時、左の写真ですが、すぐ近くの梅の樹に登りはじめていましたが、 ”あれよ、あれよ” と思うまに、静かに クネクネスルスルと音もなく上って行きました。
梅の樹が住処の 昔から、、多分 私と一緒の頃から住んでいると思います。 昭和四十年の頃、梅の堆肥つくりのため、牛を三頭飼っておりねずみが多かった頃、あの頃は一メートル足らず? それでも大きいでした。 三年か四年前のこの ”紅梅園便り” で、二匹の ヌケガラ を御紹介した事がありますが、頭のないヌケガラが確か二メートルを越したのと、一寸足りないのとあったと思います。 蛇の寿命は何年なのでしょうか。
左の写真は、梅に上りかけたところ。 真ん中は 、頭をもたげ、下は写真ぎりぎりのところ、右も写真の画面いっぱい、三メートル近いと言う人、越すと言う人、それぞれでした。
私も、後継者の俊一郎も ”巳年” の九月生まれ、あの大蛇は、 紅梅園の梅の 『主様』 のように思えました。 

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7月4日 (土)   ホタル 舞 ロード

 故郷の原風景を尋ねて、梅干しおにぎりと卵焼きだけの弁当持参で行ってきました。
先日、 ”土つくり” の話を聞きたいと、食事に呼ばれた席で初めてお会いした方から、 「とても不思議なきれいな梅の木を見ました」 と、携帯電話に写された梅の樹の写真を見せて頂きました。 梅の樹は花満開で、後光のように太陽の光線まで映し出され、背景にはせせらぎの川瀬の音まで聞こえてくるような、板橋のかかった小川。 『今すぐ行きたい!』 と思う心を抑えて 『何時か是非ご案内下さい』 とお別れしましたが、その近くに予約制で食事を出して下さる ”食事どころ” があるからと、七月末のお食事に呼ばれました。
しかし、八十歳の私は、「それまでに何が起こるか解らない! 悔いは残したくない!」と、月末まで我慢できず、”食事どころ” に聞いても山道でわからず、 ”月末まで待てない” 思いを話したところ 早速昨日 ご案内下さったのです。
写真左が、花が緑の葉に変わっただけの、見せて頂いた梅の樹の写真です。 懐かしい沢音の上には板橋がかかり、沢蟹もいました。 この川に沿った道には 「ホタル マイ ロード」 と書かれた杭が立っていました。 
川上を目で追っていくと、こんもりと豊かで、静かな昔懐かしい、私の育った頃の私の故郷でした。 今住んでいる所の 昔の村の姿でした。

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