Diary 2008. 2
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2月21日 (木)   椎茸原木の 玉切り

 荒川内梅園の防風のため ”ドングリ” を植えましたが、梅はやっと成り始めたのに、ドングリは大きくなり過ぎて、先日椎茸の原木として切り倒しましたが、今日 ”玉切り” しました。 ドングリの枝を切り落とし、1m50cmの長さに切り揃え、ある程度乾かした上で、その木にドリルで穴を開け、 "椎茸の種こま(菌)" を打ち込むのです。
山仕事の好な私は、昔、この駒打ちに、自分から頼み込んで通ったことがあり、私の夢でした。  しかし、今日は、『危ないから!』 と近づけてくれないので、切りそろえたドングリの木を庭に持ってかえりました。 自分の庭で "駒打ち" をするのです。 
そして、藪椿や杉の木陰に並べて、椎茸が生えたら、商品の "パッキン" として野菜同様お客様にもお届けして、一緒に楽しみたいと思っています。
左は "ドングリ" を切りそろえている後継者(俊一郎、向こう側)と、応援の平原さん(手前)。
 真ん中の写真は 庭に持って帰った 『椎茸原木(ドングリ)』 同じような山が二つ出来ました。 右は一番後から咲く 花梅ですが、この花の下で ドリルで穴を開け、椎茸のコマ(菌)を打ち込みます。

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2月18日 (月)   年に一度の 謝恩花見

 昨日 冷たい風の日曜日でしたが、紅梅園の過去約50年のうち、35年有余の艱難辛苦の時代、ずっと励まし見守って下さった方々への、恒例の謝恩の花見をしました。
寒いので梅の枝で焚き火をして、カッポ酒を用意、皆さん夫々に酒や焼酎持参され、ご住職は ”椎葉のドブロク” をご持参。 ちょっと酔われたところで皆にせがまれ、素晴らしい声で先ず ”早春賦” を聞かせてくださいました。 『早春賦』 は、私が苦しい時代、きっと経営にも春が来ると信じて、ある時は 涙ボロボロで歌にならず、ある時は きっとくる春を信じて、元気いっぱい声を張り上げて歌った、大好き歌なのです。 次に ”恋はやさし” を。 酔いが回り始めると、本格的に ”のばら” 等アチラ語で、素晴らしい歌声がピンクの鶯宿梅の花の間を、香りと共に流れ、目白まで雰囲気が解るのか、うたげのすぐそばの、花の枝を チョンチョンと 飛び伝って、ほんとに素晴らしいお花見でした。
初めて参加した飛び入りの方からは、 『紅梅園の花見は、なんと 高尚な花見』 と、驚きとお礼の電話がありました。

左は 宴たけなわの皆さん。 真ん中は、陽が翳り始めてなお、酒酌み交わされる何時もの居残り組みの方々。 右は、花見が終って、片づけが終って静かな梅園にかえった、西日に映える鶯宿梅。

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2月16日 (土)   花見の 準備

 連続 毎朝マイナス2度前後、昼間も10度前後 近年にない寒い日が続き、梅の花は開いただけづつ霜に傷められて薄茶色になり、受粉のための ”蜜蜂”も、風があるので15度以上はないと、飛んで来てくれません。
しかし、1週間掛けて鶯宿梅が7分から8分咲きとなりましたので、明日の日曜日は、50年近い紅梅園の苦難の日々を、見つめ支えて下さった方々への、感謝の ”梅見の宴” です。
南国には珍しい10度前後の寒い中、みんなで風除けの藁囲いを作ったり、ご馳走を作ったり、てんやわんやでした。

"白梅に 呼び止められて 帰り道" 真ん中の写真は ”花見の宴” の準備、冷たい風止めに、藁囲いをつくりました。 廻りは10年生の育成園 (右の写真)に囲まれて。 花見の梅園は45年前後の古木の園です。

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2月13日 (水)   昔は良かった! 里山

 堀の周辺、狭間田は里山の一角です。 戦後の復興前まで、里山は各家庭の燃料である ”薪” の山でした。 雑木は薪に切り取っても、10年前後もすると、又、もとの薪山に返り、実家の家業は『製油業』のため、正月が過ぎると1年分の燃料に、1ヶ月近く里山で薪取りをしてましたが、約2ヘクタールの里山を一周すると、禿山になっていた里山は、もう薪山に返っていました。 そして、大雨の時も雑木の根がしっかり支えて、崖崩れ等殆どなく、里山の春は ”コブシ”の花から ”春蘭” が咲き、山桜が咲き、新緑と移り、昔の里山は、ほんとに思い出しても、胸のふくらむ思いがします。
今、紅梅園の里山だけに残っている 『自然薯』 を、掘り取ったドロボーは埋め返しもせず放置、その穴に大雨の時水が流れ込みますが、傾斜地の土砂崩れは、雑木の根が支えています。 写真の左は崖崩れを支えている雑木の根っこ。 次は、今年の自然薯ドロボーが掘りっぱなしの跡です。 昔 里山は薪燃料の自給、腐葉土の自給に家庭の道具の素材等、『知恵』 の山、雉や小雀鶏、山鳩やうさぎ達の棲家、心の癒しの山でしたが、今日は、又自然薯を掘られて 『むかっ腹の立つ山』??。 里山に申し訳ないですが、、、。  

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2月12日 (火)   寂しい 掘割

 19年(昨年)の1月末、紅梅園の梅肉エキスと梅干の詰め合わせを、朝日新聞で紹介して頂いたおり、予想以上のお客様に感謝して、売上金の一部で梅園の端にある里山と狭間田の一角に、堀を作りました。 
小鳥や渡り鳥達の ”水のみ場”もかねて、蛙の絶滅が心配になったからです。  2000年〜2002年の頃まで、早春は三寒四温の季節に添って、蛙の子 ”おたまじゃくし” から始まったものでしたが、今年は2年目なのに ”おたまじゃくし” は見あたりません。 
昔から里山の水場では、薄氷が張っているうちから、真っ黒い ”おたまじゃくし” が、小さなシッポを動かしながらうごめいていました。 それを見ただけで心が浮き立ち、早春を実感していたのです。
去年の夏、 ”ミズスマシ” が走り回っていた水面は静まり返って、白い雲と青い空、廻りの木々を、寒々と寂しそうに映しているだけです。 真ん中の写真は、昨年皆様への商品の中に、早春の使者?としてお届けした ”芹畑”でしたが、昨年なかなか冬が来ないため、『背高アワダチ草』が枯れるどころか、猛烈に繁茂して、 ”芹畑” を呑み込んでしまいました。  右は今日の ”光友1号”の白梅の花です。

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2月9日 (土)   自給自足の椎茸

 梅園の周囲に、防風垣をかねてドングリの木を植えましたが、やっと梅が実りだした今、ドングリの木は、椎茸の原木として、ちょうど良い頃合になり、一部のドングリを昨年の暮れ、切り倒しました。 この2月中旬の頃、椎茸の ”種コマ” を打ち込みます。
ドングリの木を、1m50cm位に玉切りして、どんこ椎茸の 『115』 という種こまを打ち込みますと、今までは1年置いて椎茸が生えていたのですが、今は、今年の冬からどんこ椎茸が生える種コマも、あると云うことです。

寒い、しびれるような冷たい雨に、少しづづ太ってくるドンコ椎茸は、美味しさもさることながら、食べる前に、まず、とっても楽しみです。
このところ、毎日発送するお荷物の中に、梅の蕾の小枝を同封しますが、皆様から、喜びのお電話やお便りが、毎日きます。 私達、二重の喜びに感謝していますが、どんこの椎茸も、皆様と喜びを分かち合いたく、楽しみにしています。
左の写真は、ドングリ垣の梅園。 真ん中は、一部切り倒されたドングリの木で、椎茸の原木になります。 右は、アナグマが、猪に掘り返された梅園で、梅園の土の中のミミズや、昆虫を探して掘り返すのです。

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2月7日 (木)   連続の寒い日

 昭和の時代だつたら、当たり前の寒さですが、一向に寒くならないで、今になって寒いのは、梅にとっては困ります。 
梅が、3分〜4分先になってから寒くなるので、梅の花に影響します。 落ち着かない気温のなかで、鶯宿梅は4分咲きになりました (写真左)。
 梅園の中にある自宅玄関の柱には、蝶でしょうか 『サナギ』 が泊まって ”羽化” を待っている様子(真ん中の写真) 、まだまだ寒いから、待ったほうがよいのですが、落ち着かないのでしょう。
 右は、絹織物の染料素材として、京都の 『織道楽塩野屋』さんに依頼され、鶯宿梅の枝をチップにしている、黒澤達也君です。 毎日、コツコツとチップにしています。

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