Diary 2008. 10
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10月22日 (水)   今日は稲刈り

 今日は稲刈りでした。 梅剪定の師匠である私が弱ったため、稲刈り作業に変更しました。 午後2時頃、今にも降り出しそうになり、私も駆けつけて刈った稲の掛け干し作業でした。 稲の掛け干しは、2週間前後干してから脱穀、精米して新米になります。
あちこちの田んぼでも、雨模様を心配して総出で大わらわでした。 
霧島連山は雨雲にかくれ、左の写真は紅梅園総出の稲刈り。 真ん中は刈り取った稲の掛け干し。 右は、今年初の山茶花の白花。 白花の山茶花は屋敷中ないのに、雑種が出来たのでしょう。

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10月20日 (月)   蜘蛛の巣

 疲れが極限?にきたのか、蜘蛛の巣にかかって、なんとも気持ちの悪い一日でした。 
今までも蜘蛛の巣はいっぱい、同じように梅の枝から枝へかかっていたのですが、気にならなかっのです。 農薬なしの梅園では、蜘蛛とカマキリが害虫を食べ、梅と共存しているのです。 今日は帽子に手に、蜘蛛の糸が気になる一日でした。 
疲れがピークになったようです。 1時間毎に小休止、お茶をコップ2杯、息もつかず飲み干して10分間の休みをとりましたが、体の方が時間を知っており、『もう駄目、小休止しよう』 と思って時間を見ると、殆どピッタシ1時間なのです。 人間の体にもリズムがあるようです。

左は 梅の枝に張り巡らされた蜘蛛の巣、写真の中に4匹もいます。 天空の蜘蛛、巣の真ん中で、うらやましい!。 右は剪定の終わった梅園。

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10月19日 (日)   大豆の 異変

 梅の剪定作業も一番辛い時期にはいり、お洗濯は風呂と同時にすませますが、部屋の片付け掃除は、日曜日の仕事に後回しにしていたのに、朝風呂あとのマッサージ器の上で、眠り込んでしまいました。
久しぶりの百姓仲間の窓を叩く音で目覚め、掃除片付けはそっちのけのお茶飲み話で、大豆の話が出ました。 『大豆か実らない!』。 私も、一昨年から急に大豆が実らず、種のせいか? 肥料の関係か? 種まきの時期のせい? と、あれこれ人にも聞いたのですが、今、農家も専業化して、大豆を作る人がなく解りませんでした。 原因は、 『外国から飼料に混じってきた害虫』 のせいで、『大豆の受粉が出来ない』 との事。 私の薄気味悪い疑問は一気に解決しました。 大豆の鞘も貧弱で、『全く実が入っていない』、今まで体験した事のない事でした。 農薬はぜんぜん使っていないので、原因は解りましたが、腹がたちます。 『どうして休耕田や稲の裏作で、飼料の自給率を上げないのか』。 『何もかも ”経済効果”だけ?』。 来年は、白神岳山麓の ”荒川内の梅園” の中に植えてみます。 私は、自給自足(身土不二)で自分の健康を守り、出来る限り元気で長生きして働き、特攻隊員の心残りを少しでも安らげたい、同時に紅梅園の顧客の皆様に、美味しい野菜でご恩返しがしたい、、年のせいかも知れません。

昨日の午後疲れ果て、カメラマンになつてドングリ等、撮ってきました。 左は午後の梅園で。  真ん中は椎茸原木をかねた防風林のくぬぎ、稔りの秋。 右は落ちたドングリ、樹をゆすって落としました。 自然に落ちたドングリは、その夜のうちに”あなぐま” や猪が全部食べて残っていません。  

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10月16日 (木)   一番遠い梅園

 今月も中旬を過ぎて、日の入りが早いことに気づき、今日から一番遠い ”荒川内” の梅園の剪定を先にする事にしました。 荒川内の梅園はまだ若いので、剪定で切り落とす枝が多く、一番気にかかる梅園です。 それに一番遠い場所にあるため、5時まで作業して会社に帰る頃は、日暮れてしまいます。 11月の曇りの日等は、畑で作業しているうちに、薄暗くなってくるのです。
今年入社の社員は、一番解りやすい徒長枝を切り落とし、私は下枝から手の届くところまでの枝を剪定し、高い所は後継者の俊一郎が脚立に登って剪定します。 剪定作業のすべてを理解しているのは、一番経験の長い年長の私なので、選定作業に限っては、79歳の私が一番苦労する、、、と言うことになりまが、つべこべ言っていると剪定作業が遅れますので、剪定作業だけは、私も責任を感じて頑張っています。
写真は 剪定前の梅の木と、剪定してさっぱりなった梅の樹。 日暮れて家に帰ると、腰の痛さよりも肩と腕のほうが辛いですが、筋肉痛なので慣れるしかありません。 老体にはこたえますが、剪定が終わってサッパリなった梅の樹を見ると、何時もの事ながら 良い気分、、最高の気分です。 梅の樹が 『有難う』 とお礼を言い、私は 『頼むよ』 と言うのです。

左の2本は、剪定の終った梅の樹。 右の梅は 剪定前の梅の樹です。
 

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10月10日 (金)   野菜の 在来品種の種

 ”昔からの在来品種の種が欲しい” と、思い出しては、会う人毎に話していたところ、 『世界遺産』 になった在来品種の種があると聞き、早速案内して頂きました。
朝、7時出発して熊本経由でフェリーに乗り、昼過ぎ、世界遺産になった種をお持ちの、雲仙の岩崎さんの畑につきました。 たくさんの種を大切に保管して、私たちと同じように土を大切にされて、人参をはじめ、いろいろの野菜が植えつけてあり、感動しました。 野菜等 『真土不二』 の原理に添って、在来品種こそが 『医食同源』 の理想の野菜だと考えて、ずっと昔から長い間探してきただけに、本当に嬉しいでした。 
岩崎さんの今日までのお話を聞き、今後の種の後継者の話がでた時、 『私が後継者になりましょう』 と言ってしまい、60歳前の岩崎さんの後継者に、80歳の私が申し出た事で、皆さん大笑いだったそうですが、私は自分の年を自覚してないもので気付きませんでしたが、帰りの車の中で大笑いでした。 肥料にも、昔のようにあの地方に続いてきた在来の 『ササゲ』 を植え、それを畑にすき込んで肥料にしていらっしゃいました。 私も、コーヒースプーンに1杯づつ、大根や蕪等15品種の種を頂いてきましたので、大切に増やして、お客様へパッキン代わりのお野菜にしてお届けしたいと、今から心ワクワクです。

左の箱の中は在来品種の種、何箱もありました。 右の写真は、私と岩崎さんです。

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10月9日 (木)   金木犀の季節

 何処からともなく漂ってくる金木犀の香り、、。懐かしさの中で無意識に、何か身構えるような緊張感を覚えるのです。 毎年のことですが、七十歳を越えてからは、一生慣れることはないのだろうなと、懐かしくさえ感じるようになりました。
私は、長女が三歳、長男が生後五ヵ月半の時、急に肺結核が重くなり、待ったなしで入院しました。 母乳だけだった子供は、母が見てくれる事になりましたが、粉ミルクを飲もうとせず、火がついたように泣き、どうしても飲んでくれません。 その子供を、長いこと子供に関わった事もない母に頼み、結核病院に入院しました。
しかし、お乳は張って熱を持ち、耳には子供の泣き声がこびりつき、心には、私の命を心配しながら、お乳を恋い泣きじゃくる子供を抱いた母が、一緒に泣いている姿が浮かび、入院して二日たっても三日たっても眠れず、安定剤も効かず、生き地獄の五日間がたった時、母が子守りも一緒に、子供を連れてきました。 やっと首の据わった、頭でっかちの丸坊主になって、ミルク壜を両手でかかえて飲む姿は、今も目に焼きついています。
『おおらかに、気を大きく持ちなさい』 と、毎日老院長先生が見舞って下さっても、どうにもならなかったのが、その日から、食事のとき以外は、ベッドから落ちても目が覚めないほど眠りました。 そして、入院して初めて、同室の先輩の方達が銭湯に誘い、帰りの夕暮れの中に香っていた金木犀を、手折ってくれました。
あれから半世紀あまり、金木犀の香りに会うと、 『絶対生きてここを出る』 と、毎日死と向かい合いながら祈った日々が思い出され、『食べ物を生産する農業をしたい』 と誓い、『絶対悔いのない人生を』と、すがった日々が、甦ってきます。
今の新工場建設の時、売り上げとはバランスの取れない、大きな金額の借り入れに、『新しい決意』 をしたのか、新工場入り口は、門柱のかわりに両方金木犀を植えていました。
私が二十五歳の五十四年前、金木犀が咲いていたのは九月中旬でした。

左は 今年10月9日 満開の金木犀の花と、逆光の、会社入り口、門柱代わりの金木犀です。 逞しくなり、今年新工場も建てられました。

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10月6日 (月)   今日から 梅の剪定作業開始

 従業員の結婚式で予定がおくれ、今日から梅の選定作業開始。 面積5.4ha、約1600本余の選定作業は、2人で4ヶ月かかります。 私も含めて3人の作業ですが、通算すると毎日2人になるのです。
 選定作業は梅の木と向かい合っての作業で、45年も続けてきた作業でリズムがあり、大好きな止めたくない仕事ですが、80歳の枠の中にはいった私は、それなりの心構えと、肉体の準備が必要です。 目を閉じて深呼吸をし、下腹に力を蓄えて、腹を据えてかからないと、足を挫いたり、脚立から落ちた事もありましたから。
孫の後継者は、私を心配しながらも、まだ鶯宿梅の古木の剪定には自信がないので、仕方がないのです。 『社長は後からゆっくりで良いよ』 と先に出て行きましたが、自分で出来る若い梅畑は後回しにして、鶯宿梅の古木の梅園からはじめる準備をしていました。 私が参った時を考え、自信のない古木園から始めようと考えたのでしょう。 『少しは頭を使うようになった』 と、足が軽くなりました。
 よく人々に、『とても80歳前とは思えない。若い。元気だ』 と言われますが、梅園も田んぼも、畑の作物も何もかも、農薬なしで育てていますから、油断は出来ません。 又、加工も、添加物なしで加工していますから、ここでも品質管理や計量パック等、衛生面や取り扱い等、気が抜けません。 常に社員全員には 『頭を使え。 作業中は気を抜くな。 考えて作業するように』と、緊張の連続です。 又、戦中戦後の時代に鍛えられたせいかも知れませんが、私は、日本の先祖代々の知恵を引継いだ 『紅梅園の梅肉エキスと梅干』 のお陰だと確信しています。 梅園の剪定作業、最後まで倦まず弛まず、大自然の中でがんばります。

秋風が立ち始めた霧島の連山、紅梅園の畑から。  太り始めた”スダチ”ですが、温暖化のせいで、10本のうち2本生き残っていたのに、実まで成り始めました。 右は社員(花嫁)の 披露宴での集合写真。

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10月5日 (日)   窮すれば 通ずる

 昔、昔?、私が若い頃、祖父母や両親から   『貧すれば 鈍する』 とか、『稼ぐに追いつく貧乏なし』とか、『早起きは 三文の得』などと聞かされ、『窮すれば 通ずる』 と言うのもあり、どんなに行き詰っても、必ず解決策はある。投げ出すな!。 と教わりました。

つい先日、何気なくテレビを入れた途端、大豆の価格上昇で、畜産農家が ”畜糞の完熟堆肥” を生産し、その堆肥を煙草生産者が利用し、煙草生産者は夏連作障害回避のため煙草を植える田に水を張るので飼料用の稲を生産する。 その稲を畜産農家が米もろとも牛の餌にしていると言う報道でした。 これこそ 『一石二鳥』 どころか、五鳥も十鳥もと、、思わず 『やった!』と、叫んでしまい、『窮すれば、通ずる!!まだ人間も捨てたものじゃない!』 と、今思えば変な理由で嬉しくて、いっぺんに ”ペンション” が上がり、自分が何をしに帰ってきたのか、忘れてしまったほど嬉しいでした。
 外国から『経済効果』 だけで、 ”身土不二” は何処へやら、二酸化炭素を増やしながら輸入した大豆よりも、牛にとっては、自分の近くで生産された草に一番近い ”稲” のほうが 『美味しくて健康にも良く、体調も良くなって』、”ルンルン” に決まっています。
暇と金があれば? あの知恵を出された方々を尋ねて、飛んで行きたい気分でした。
 『汚染米で儲けたり』 『死にたかったから』 と、自分は逃げて助かり、関係のない人々のたった一度きりの人生を断ち切って、考えただけでも気が変になりそうな事ばかり続き、戦争の時代に生きた私でさえも、『昔は良かった!』 と、考えるほど嫌な事ばかり続いただけに、本当に嬉しい嬉しい映像でした。
『良かった!』 『有難う!』と、誰彼となく皆に言ってまわりたい気分でした。
 社会の仕組みは難しいのでしょうが、『経済効果』 ばかり優先しないで、『生産効果』 も急がないと、未来の 『食料不足』 や、『水不足』 はどうなるのでしょう。 心配です。

再度の台風で、風は大した事はなかつたのに、大雨で倒れ伏した隣の稲田と、水をたたえた紅梅園のもち米の稲田(左側)。  真ん中の写真は、逞しい紅梅園の稲田(左側)と、優しいお隣の稲田。 右は垂れ下がった紅梅園の稲穂です。

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