Diary 2008. 1
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1月31日 (木)   10年 長生きします

 雪日和の 寒い日が続きましたが、梅の蕾が膨らみ始めたため、毎日梅の剪定の見直しです。 寒さと疲れのためか、今日は左瞼が ”ピクピク” と痙攣して、 『年には勝てない?』 と、うら寂しい気持ちで事務所に帰ったところ、横浜市の山田様から、昔なつかしい、きれいな筆字で、お便りが届いておりました。

 ”冠省” に始まり、お野菜と一緒に 『鶯宿梅』 の小枝を同封致しましたが、
『過日、梅の小枝を頂きましたが拙宅の窓辺で ピンク色の蕾が大きくなって 開花も間近いとおもいます。 由緒ある 《鶯宿梅》 との出会いを一日千秋の思い、憧れの佳人に会う心境で待つて居ります。、、云々』 とありました。 また、 『こうばい』 で折り込み句  『《こ》 コップ一杯・ 《う》 嬉しい効き目・ 《ば》 梅肉エキスで・ 《い》 いい笑顔』 。
『貴社の梅食品のお陰で飲ん兵衛の小生も、甘味好きの家内も、平穏に暮らしております。』

 私にとって、これ以上の妙薬がありましょうか。 うちの鶯宿梅は ”佳人 紀の内侍”。 ”一日千秋の思い”。 私の心に昔々の青春が パーッと甦っようで、心身を暖めてくれて、 『絶対10年は長生きする、、』 と思いました。  
私は、鶯宿梅を選んで、無農薬に挑戦して、昔どおりに加工して、ほんとうに 『良かった!』 と、幸せで、、、本当に幸せです。 
陽だまりで咲き始めた 花梅『御所車』 と、 真ん中が『鶯宿梅』。 右が中粒の 『光友1号』 それぞれ陽だまりの暖かいところから、咲き始めました。
 

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1月25日 (金)   品質管理工場の 地鎮祭

 天気予報の”曇り”を心配していましたが、今年一番と思える寒さの晴天。 今日は日柄が良いという事で、新設する 『品質管理工場』 の地鎮祭でした。
紅梅園では、せっかく梅を無農薬で生産するため、梅干を無添加の塩分11%で仕上げておりますが、環境の温暖化等で品質管理が心配になり、低温貯蔵庫と、パック計量や加工のため、クリーン室を建設することにしました。
今日、工場建設現場の地鎮祭でした。
空は青く、工場周辺では早咲きの ”花梅(御所車)”が咲き始め、後ろの方では杉の木立を背に、陽だまりで ”野梅?” が香り高く咲き、とても良い日和でした。
たった一粒も無駄にすることなく、必要なものは惜しみなく品質を高め維持し、自分達の努力でキチンとコストを把握して抑え、何事も、食べて下さるお客様の立場に立って考え、一生懸命努力すれば、必ず社員や会社と、お客様の絆は保たれ、継続できると信じています。

左の梅が ピンクの御所車の花梅。 真ん中が 野梅の白梅。 右は メインの 鶯宿梅の蕾です。   

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1月21日 (月)   暖かい メッセージ

 今日は朝から冷たい雨のため、剪定作業は休止。 温暖化防止のため、13度以上は暖房しませんので、14度の事務室は、79歳の私には多少寒さがこたえますが、私自身が指示したので我慢です。 若い社員達は 『大丈夫ですよ』 と、にこにこしています。
 
 寒さをこらえながら、作業予定表作成の途中、お客様のお便りが届きました。 お届けする商品の中に、パッキン代わりのお野菜と一緒に、梅の小枝をお入れしたのですが、お便りの中に、北海道の上野様から 『梅の小枝 さっそく花瓶に生けました』。 鹿児島の生駒様からは 『梅の小枝に 春を思いました』。 とあります。
心が "ほっ!" と暖かくなりました。 まだ硬い蕾の 小さな小枝なので、お客様の暖かいお部屋で、咲いてくれるのを祈っています。 


1月18日 (金)   紅梅園の 親善大使

 『徳利に 似合う白梅 いきいきと』 船橋市の原田さまから届きました。
梅の蕾がふくらみ始めましたので、お客様の商品の中に、早春の香りをと、小さな梅の小枝を同封しておりますが、まだ蕾が固すぎて、咲くかどうかも解りませんでしたが、今日のお便りは ほんとに嬉しいでした。 早春の紅梅園からの ”親善大使” です。

梅の花は、温度の蓄積によって咲きますので、陽だまりの梅が一番早く咲きます。 又、梅の品種でも花の咲く時期が、多少違います
左の小さなビンクの梅は、ずっと、ずっと昔の在来品種で、小さなピンクの花が一番早く咲き、小さな、小さな梅の実が、パラパラしか成りません。 真ん中の花が、今年一番 初の ”鶯宿梅” の花です。 右が、 ”雲水” で、一番早く咲きます。 以前、11月に初霜が降りていた頃、年末、時たま暖かい日が続き、正月そうそう5分咲きになり、びっくりした事がありました。 
まだ、殆どの梅は硬い蕾ですが、暖かい日が続くと、すぐ膨らみ始めるのです。 
花はとてもきれいなのですが、今日は曇り日和のうえに、私が下手で、写真がぼんやりですみません。
 

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1月12日 (土)   3年連続の 季節異常

 昭和30年〜40年代、12月、1月は、梅の剪定をするのに、夕方陽が落ちたり、曇り日和で太陽の光が射さない時は、足も手も凍え、シモヤケがひどく、靴の中が毛皮になっている防寒靴をはいていました。 果樹も ”みかん” はおろか柚子までも、昭和48年、藁つとで防寒しても、幼木のうちに8割も枯れました。 
そして、霜が降り菊が枯れると、先ず香り高い日本水仙が咲き、年が明けて、マンサクがほころび始め、蝋梅と福寿草が咲いて、梅が咲き始めるものでした。 
今は1月半ば、日本水仙がやっと咲き始め、福寿草は蕾もみえません。 晩秋と初冬と早春モドキ?が、混在しているのです。 今の12月、梅園で夕陽が落ちても、寒さは感じますが、手足が冷たい等と感じることはありません。 梅園の中で、”八朔”や”カボス”も実を付け、”すだち”まで、たわわに実ります。
あと、10年も経たないうちに、動物や植物などの 『南限・北限』 が変わって来て、世界の食べ物の、危機がくるのではないかと心配です。

周辺の集落の人達が 屋敷廻りの里山を切って、”宅地開発” して行くので、何とか里山を残そうと、”どんぐり”を植えたり、下の狭間田に水源池も掘りましたが、その堀や、庭の睡蓮の池でも、在来の蛙は姿も見えず、数年前頃から、鳴き声の変わった蛙?、姿・形を見た事のない、生き物が増え、ヘビも急に見なくなりました。 昨年の秋、リホームの時2m前後の、2匹の蛇の脱け殻を見たときは、嬉しくて嬉しくて、今でも 『どこかで、どうぞ生きていてくれるように』 と祈っています。 子供の時から、心にも耳にも馴染んできた蛙の鳴き声も、早春は、その蛙の途切れ途切れの声から感じるものでしたが、今は、時々声を聞くと、懐かしくて胸がキュンとします。  地球上の生物に、平等の将来があるのでしょうか。
写真は、同じ品種の 『雲水』 ですが、場所の日当たり等の関係で、左は咲き始めた梅、右はまだ動きはじめたばかりの硬い蕾。 乱高下の気温に敏感になつたのか、少しの温度差で、梅が ”右往左往” しているようで、収穫量の心配の前に、梅達が可愛想です。
 

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1月8日 (火)   七草の助け合い

 私の子供の頃正月7日、数えで7歳の子供は 『ななとこ(七草祝い)』 に、1年に1回か2回、盆と正月に買ってもらえる着物を晴れ着に、お盆にお椀を載せ、袱紗のかわりに綺麗な布を被せ、兄弟に付き添われて7軒以上の、七草粥を頂いて回るのが習慣でした。 お盆の上には 『おひねり』 のように、なにがしかのお祝い金を添えて下さる所もありました。
 兄弟の多いところや、何かの事情で七草粥が出来なかった時は、大きいどんぶりを載せて、たくさんの七草粥を頂く事もあり、 大きい容器は、 『たくさん下さい』 と云うサインのようなものでした。 お祝いや不幸の時は、お葬式の 『無常講』 と同様、助け合うのが 『集落のきまり』 のようなもので、この『集落のきまり』は、ときには不仲同士の仲直りの ”きっかけ” にもなったのです。
私の ”ナナトコ” の時は、 ”ナナトコ” の子供を持つ父親同士で前祝と称し、村に1軒あった焼酎屋のお店先で、前日の夕方から明け方 まで飲み、したたかに酔って帰った父と、母は大喧嘩になったようで、私は兄に付き添われ、兄の知恵で大きなどんぶりを持ち、普段着のまま大どんぶりに大盛りの七草粥を頂いて帰りました。
家業は椿や菜種の製油業でしたが、その工場の南側の日向ぼっこで、姉兄に妹4人で食べた七草粥は、とてもおいしかったのを、懐かしく思い出します。  
あの頃、朝のうちは数cm近い霜柱が立ち、道路は前の日の霜解けでゴチゴチと、デコボコに凍り、集落の下の湿田は一日中凍っていて、下駄で滑って転んでを繰り返し、着物を濡らして帰っては怒られたものです。

今では想像もつかない正月でした。 わずか半世紀余りでこんなに地球環境が変わって、将来人間も動・植物も、生きていけるのでしょうか。 生命の根源が、生きて行ける条件がおびやかされている事を、本気で心配しています。
写真は、10月29日種をまき、左の写真が11月27日草を取ったばかりのホウレン草ですが、収穫は3月からの予定が、暖冬で通常の倍大きくなった今日現在のホウレン草です。

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1月6日 (日)   手抜きなしで ベストを尽くす

 正月、屋敷周囲の神様や、野仏さまのお参りをすませ、”お福茶”とお雑煮、頂き物のおせちを食べた後は、身も世もない程眠り、夜目覚め、空腹が収まる程度食べたと思ったら、又眠り、2日の昼すぎ、ようやく目がパッチリ覚めて、やっと人間らしい自分にかえれました。
3日の日も同じように、 ”寝て食べて” の不摂生で、4日健康診断の日でしたが、すっかり忘れており時間におくれ、日を改めて予約して帰る始末でした。
 11月12月、会社役員は休み無しで梅の剪定だったため、疲れと作業予定がクリヤー出来て安堵したのか、とにかく天国みたいに気持ちよく眠りました。 しかし、4日からの梅の剪定作業は、膝や背中や肩の痛みがギシギシとこたえました。
今年初に学んだ事は、老いたら、国の ”老人保健” に負担を掛けないように、 ”家族に負担を掛けないように”、今まで自分の仕事に励んできたように、 『手抜きせず ベストを尽して』 自分の健康管理に励むべきだと、悟りました。
私の場合、お風呂で片足づつ上にあげ、数をかぞえるのですが、体が元気なときは、足が先にまいりますが、疲れすぎの時は、呼吸のほうがまいります。 2〜3日怠けると、かぞえる数が上がりません。 
『倦まず弛まず』 リズムをつくって努力していると、健康管理にも結果が出て楽しくなります。 老いたら自分の健康管理に 『手抜きせず ベストを尽くそう』 と思うと、 『負担をかけない』 事が、新しい目標になって、引退後の楽しみになってきました。 
 『老いたら』 なんて言って、もう 『老いて』 いるのに?。 


1月1日 (火)   新年の空

 明けまして おめでとうございます。
晦日の日から急に寒くなって、寒さが骨身に凍みる思いですが、心の中では 『良かった! 良かった!』 と嬉しいでした。 何故なら梅は一旦寒くならないと、蕾がハッキリしません。 環境の温暖化で、ここ3年続いて不作なのです。
昨年は、何とか環境に適応しはじめたのか、集団的な病気はでませんでしたが、一昨年は、痛々しいほど病気に傷められました。

今年は、年末になって凍みるような氷雨も降り、写真左の ”虹” が立ちました。 半円形の見事な虹だったのですが、カメラを用意する間に、半分になりました。 子供にかえったように、胸がワクワクして ”有難う” と映しました。 
裏山の椿にぶら下がった ”スズメ蜂” の巣は空になり、綺麗な模様のまま静まりかえっています。 初詣に行った神社の裏山には、老いて倒れた倒木が、コケむして、つい、わが身を振り返りました。 私も今年は79歳になる、、、昔で言えば80歳!。 『フーン』と、不思議な気分でした。 しかし、庭先の梅園に行くと、しっかりと梅の蕾が、青い新年の空に光っているようでした。

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