Diary 2006. 9
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9月30日 (土)   日が 短くなりました

 9月も今日まで。 急に日が短くなり、畑で一生懸命作業していると、何時の間にか黄昏が迫っており、あわてます。
来月から いよいよ3ヶ月から4ヶ月かかる梅の剪定を始めます。 私が師匠ですから、高齢だの、疲れたの等言っていると、何も始まりません。 
事務所に帰ってみると、お客様からお便りがきてました。 『梅肉エキスで体も、気持ちもすっきりする毎日です。甲府市の小川様から』。


9月29日 (金)   油断から 蓑虫の大発生

 新社員の育成やら、元気なようでも高齢になったせいでしょうか、油断があったようで、育成の梅園の一部に、蓑虫の大発生です。
堆肥散布が終わったとたん、息つく暇もなく、蓑虫の駆除にかかりました。 無農薬なので、全部切り取って焼くしかありません。 切り取っただけづつ枝共、蓑虫も『火あぶりの刑』で焼きますが、何か人間の都合だけで、勝手に火あぶりにして、、、。 作業中は、やっと実を付け初めたばかりの梅をやられ、腹立ちまぎれにバンバン切り落として焼きますが、日暮れ時、作業を終えて帰る時は、割り切れない気分です。 しかし、大発生ですから仕方がありません。
左は蓑虫がいっぱいぶら下がった梅の枝。 次は梅の幹をかじっていく、憎たらしい蓑虫。 左は煙にむせながら『火あぶりの刑』執行、その手前の梅も、枝は全部切り落とされ、来年は全く収穫なし、植えつけて3年目の梅の木に逆もどり、実が成るのは3年先です。
蓑虫は、1匹の蓑の中に、2000〜3000の卵を産むのだそうです。 自然のバランスが崩れますので、仕方がありません。

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9月27日 (水)   シソ畑の後には 

 シソ畑は、種の採取ように少し残して、冬野菜を植えますが、有機の土に切り替えて3年〜6年の間は、麦など花粉科植物を植え、畑の土の中にすき込んで微生物達の餌にして、微生物を増やしながら土つくりをしていきます。
シソは、生産期間が短く、生命力が野草のように強いため、有機に切り替えて4年目からでも、無農薬で生産できますが、他の野菜は無理なので、一部の畑だけ(切り替えて7年目)、冬野菜を植えます。
今日の男性組は、大変な量の堆肥散布です。
この堆肥のほか、菜種油粕・ミネラル等まだまだ散布してから、大半は緑肥用の麦を植え、春になったら土の中に、すき込みます。
左は 花が終わりかけたシソ畑で、シソの実を少し漬けましょう。お料理の薬味にとても良いようです。 欲しい方はご連絡下さい。  次の写真は堆肥散布の3人。 右は、台風で葉が吹き飛んで食べ物がなくなり、梅の幹をかじり始めて初めて気が付いた『蓑虫』の大発生です。 明日から何もかもさて置いて駆除です。

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9月24日 (日)   花鉢に助けられた カボチャ

 台風13号の時、花鉢に助けられたカボチャの様子を見に行ったところ、元気に育っていました。 粟の畑も廻ってきましたが、粟も倒れていたのが立ち直り初め、丸い長い穂が、重そうに垂れておりました。
粟の実が熟してくると重くなりますので、粟の穂は、重そーうに垂れてきます。 隣の穂と穂が重なり合い、支えあってくるので、昔、女学生の動員作業の時、百姓のおぢさんに、
「文ちゃんよ。粟畑の隅に立って、粟の穂を、サワサワとゆすると、その、ゆれる粟の穂の波が伝わっていって、向こうの畑の隅の粟の穂がゆれるような粟を作れ。」と、おっしゃって「解るか?」と言われましたが、解りませんでした。
今は、解るような気がして、写真を写してきました。
左は18日の台風の時、双葉だったカボチャ。助かって伸び始めていました。 真ん中は稔り始めた粟の穂。

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9月23日 (土)   昔からの畑の地力

 台風の後、風よりも雨の被害が多く、昔からの『元気畑』の作物と、有機栽培、いわゆる自然の栽培に切り替えて5年目の畑と、6メートルの道路をへだてて、下の写真のように、『元気畑』の野菜はきちんと立ち直り、切り替えて5年目の畑の野菜は、立ち直れないまま虫に喰われたりして、駄目になりました。
左の写真は、台風の前に定植して、風と雨に同じように傷められましたが、立ち直りました。真ん中の写真は同じ元気畑の、今年の春に零れ落ちた種から、自然に生えた小松菜。 右の写真は、6メートルの道をへだてて、向こう側は、左の白菜と一緒に植えた野菜ですが、立ち直れずに虫に喰われ茶色に腐っていく野菜畑です。

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9月20日 (水)   今日は お彼岸の入り

 今日は、お彼岸の入り。 それに気がついたとたん、工場の周辺や梅園の周りは、すっかり秋になっていました。
工場の南側には、夏草の中から、真っ赤と黄色の『彼岸花』が何時の間に伸びたのか、綺麗な花の真っ盛り。 梅園の周りの椿の実は、硬い実が割れて、今にも『種(油を絞る実)』がこぼれ落ちそうになっており、ギンナンの木陰には、お茶の花も咲いています。
季節のわかりにくい、都会のお客様にと、曇り空の下ですが、写真を撮ってきました。 左から、彼岸花。 真ん中は、椿の実。 右は、白い茶の花です。
私は、今からホウレン草の種まきですが、それぞれ、キャベツやレタス、ブロッコリーの苗作りや、梅園の草刈り、夏カボチャ畑の後始末をして、次の大根や蕪の種まきの準備係りと、大忙しです。

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9月19日 (火)   梅園の被害は? 

 台風後の梅園の草刈に、祈るような気持ちで着いて行きました。 お蔭様で、心配したほどの被害はありませんでした。 と、言っても、主幹が裂けたり折れたりしなかっただけで、4分の3は、葉っぱが吹き飛ばされて、裸になっていました。 左の鶯宿梅は、何年か前の台風で真っ二つに裂かれ、その後、倒れたまま立ち直った梅で、地に這っていて低かったためか、全く被害を受けていません。 真ん中の『鈴虫の棲家』のススキの周辺の梅は、日当たりも、通風も良いせいで、全部裸にされています。 右の梅達は、防風林に囲まれているので、大丈夫でした。
草刈が終わり次第、梅の剪定を始めますが、その前に、それぞれの野菜の植え付けもあります。 何卒、これから先は、台風が来ませんように!!。

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9月18日 (月)   台風一過 又ギンナンも落ちて

 今、昔と違って、台風予報が殆ど正確に報道されて、私達百姓はほんとに助かります。
今度の台風も予報で知り、16日は台風対策で1日終わり、翌17日、いよいよ午後2時ごろから暴風圏内にはいるとの予報で、昼頃、雨風も強くなり始めたので畑を見回ったところ、カボチャが双葉をだしていました。
『しまった!』芽を出すのはまだだと思っていたので、車の中で『どうしよう、どうしよう』考えながら走り、帰り着いた時、花鉢が閃きました。 昔、『ミヤマ霧島』のつつじを挿し芽して育てた時の小鉢を思い出し、俊一郎に話したところ、ぱっ!と鉢を車に積んで走りました。約200個足らず、全部にいきわたって助かりました。
左は 鉢を被ったカボチャ達。 真ん中は鉢で助かった双葉の秋カボチャ。 右は、落とされたギンナン、しかし、今年は色づいているから大丈夫と思います。
梅の樹は、今年は元気が良かったため、あの暴風でも小枝にしがみついて、枝のてっぺんはやられましたが、ふところの葉は残っています。

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9月15日 (金)   又 草刈です

 又、梅園の草刈です。 8月のお盆休みで時間切れとなり、トラガリのままお盆を越して、19日頃綺麗に刈り終えたこの梅園が、全梅園を刈り終え、夏野菜の後に大根、小松菜など植え、日本橋高島屋での催事が終わってみると、もう膝上まで草が伸びています。 
小雨の中、又、草刈を始めました。 急がないと、9月初めジャングルみたいになっていた梅園まで、5ヘクタールを越す、1800本の梅園ですから大変です。 又、10月になると同時に剪定を始めないと、花が咲くまでに、1800本の剪定が終わりません。 台風の予報を気にしながら、降ったり止んだりの小雨の中草刈を急いでいます。 秋カボチャは逞しい双葉を出し、小松菜は収穫を初め、大根は収穫までもう少しです。
写真の梅園は8月19日頃刈って、まだ1ヶ月も経っていない場所なのに、梅園の草はこの勢いです。(下の写真左)。
野生の草や、菜種油粕、藪椿の油粕等で永年40年以上も生きてきた梅は、無農薬で、全く何もしないでも梅の実をつけてくれます。その梅の実は、成分分析の成績表でお解かりのように、ミネラル成分がすべてバランスよく、全国標準値と比較しますと5倍前後も多く、中には鉄分など9倍以上もありますが、生産量は梅の木に任せてありますので、経営はほんとに楽ではありません。 しかし、やり甲斐は抜群です。 でも、、後継者達が可愛想に思える日もあり、、です。
午後、雨なので臨時休みにして、全員焼き鳥食べに行かせ、百姓社長の私は留守番です。

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9月11日 (月)   今日は 私の喜寿の日です

 朝、梅のことについて、ラジオの電話取材があり、『今日はお誕生日 おめでとう御座います』と、いきなり元気なお祝いを戴き、『あ、77歳!』と嬉しいような、気が重たくなるような気持も、取材に吹っ飛んでいましたが、3年毎の運転免許の切り替えのため、事務所に入ると、ドサッ!と見事な花束が置いてあり、『お誕生日おめでとう』とローマ字で書かれた下に『孫4人より』とありました。
孫はたった一人で寂しかった私には、『孫4人より』は、何よりのプレゼントで、グッ!ときました。『まあ!きれい!ありがとうね。免許切り替えに行ってきま−す』と、出てきましたが、車の中で嬉し涙がボロボロ出てきて、口をギュッ!と結んで走りました。
4人の孫、、、一番上は後継者の孫、2番目は、2人の子供の母親で事務の彼女。3番目は今年入社の22歳の娘。4番目が20歳で今年入社の男の子です。
いきなり4人もの孫もちになり、嬉しくて、嬉しくて、人間て、人生て、面白くて楽しい。心の持ちようでこんなにも、いきなり幸せになるものかと、本当に嬉しい誕生日で、隣のご夫婦からはお花の鉢とお菓子。
免許センターから帰ってみると、相模原市の96歳のお客様であり、私の人生のお師匠さんでもある織田様から、お祝いの品に添えて
『喜寿のお祝いの日をお迎えになられ、おめでとうございます。 この日を新しい発足の第一歩として更に前進、夢と希望の実現にお励みのことと存じます。 徳重様のゆく手はまだまだ長い旅ー、神様のおみちびきをお祈り申しあげます』
昔懐かしい、正しい筆づかいのかな文字と行書の文字のながれ、、。それに、書かれてある紙の裏を見ますと、『命というもの』と題して、゛画と文゛゛堀文子゛とあり、88歳の作者の画と文がありました。 
一月ほど前に戴いたお便りのなかに、『体重も27キロになり、お迎えが、、、』と書いてあったこともあり、ただただ有難く、仏典か聖書のように思えて しばらく自分ひとりの世界で 静かにすごしました。 かけがえのない宝物を戴きました。
こんなに幸せでよいのでしょうか。 


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